沖縄のたくさんの方々に支え、協力していただいて、
エフサイトが映画「風之舞~風の復活~」を制作、上映活動を行いました。
この活動を通して、エフサイトが大きく成長し、
青少年育成活動を主たる目的としてNPO法人化するきっかけとなりました。
“感謝の気持ち”と混沌とした“学ぶ姿勢”
現代社会の中で、日本人が置き忘れてしまった愛情と心。
それらの存在を、私たち(内地人)は沖縄に感じ、
そして“学ぶ”ことでもういちど取り戻さねばと思いました。
沖縄の皆さんからいただいた感動を、感謝を込めて映画化し、広く全国に発信することで、
青少年犯罪と健全育成に役立てたいと強く願っています。
“命どぅ宝(ぬちどぅたから)”
沖縄の人々から学んだひとつに「命どぅ宝」があります。
昔に比べて希薄になった《家族・学校・職場・地域》の人間関係をより円満に築き、
何よりも大切な命を守るため「生きる力」を育んでほしいとの願いも映画に込めています。
“反省とこれからの姿 ―我々大人へのメッセージ― ”
“限界のない欲望”と“勘違いした自由”
今まではそれでよかったことも、時が経てばいけないことになる場合もあります。
夢と幸せを求め、必死で生きてきた私たち(中高年)。
しかし、それらも過剰になれば未来の子供たちには相反してしまうのも現実です。
今こそ私たちは、
・襟を正して背中を見せ、子供たちの模範となること
・身近なところに本当のヒーローがいること
=ドラマなどの架空の世界ではなく現実の中にこそ大切な愛があるということ
を伝え、行動しなければいけないと思い、映画の製作・完成に至ったのです。
2006 年 秋 東京
沖縄県東京事務所に勤務する新垣直人 ( 28 歳)〈桑原太市〉 は、
沖縄を全国に PR すべく奮闘の日々を送っている。
同時に毎日のように起こる悲惨な事件を耳にするたび、
天国に逝った姉を思い出し心を痛めていた。
あれは 3 年前。
沖縄県庁なんくる課に臨時職員で勤務していたころ、
副知事 〈上原直彦〉 から直々に高齢者向けの生涯スポーツを考えてくれないかと依頼される。
そこで直人は、独特なスタイルを持つ沖縄のバスケットボールに魅せられ、
そのルーツを探り「ウォールバスケ」を発案する。
9 歳のときに沖縄を離れた新垣直人、
彼こそ幼少時“沖縄に神童現わる”と騒がれたその人であった。
ある日、協力者の一人、元沖縄国体監督大城大和 〈デビット伊東〉 らの呼びかけに
たくさんの人々が集うのだが、その中に18 歳で突然現役を引退した、
元 U-18 バスケットボール日本代表キャプテン比嘉晴琉 (当時 25 歳)〈尚玄〉 がいた。
二人は奇しくも幼いころ同じ小学校の同級生であったが、
神童と騒がれ次第に周囲と接触を絶って孤立していた直人には、晴琉の存在など知る由もない。
この二人の青年の出逢いが、それぞれ背負った苦い過去を、
互いが、自らが、そして周囲の温かい仲間たちの力で乗り越えていくことで、
「ウチナンチュの心」を再認識していくことになるのである。
2003 年 夏 沖縄
レンタカー店で働く晴琉は、同僚の玉城翼 〈末吉司弥〉 と仕事中、
日本代表時の監督であった進藤正也 〈河内敏光〉 と運命の再会をするのである。
進藤は東京の実業団チーム「大日本生命」の臨時コーチとして
沖縄バスケの本質をチームに学ばせるため、沖縄合宿を提言し帯同したのだが、
この再会が思わぬ方向へと進むことになる。
途中、晴琉がコーチを務める「にへいでびるず Jr. 」の練習会場でその姿を見た進藤は、
晴琉をもう一度コートへ戻したいと考え後輩の大城大和に協力を求める。
要請を受けた大和と直人の呼びかけで、沖縄バスケの歴史を作った老人らが集合。
さらに「人」が「人」を呼び、沖縄スタイルを持つ選手らによって、
「新生にへいでびるず」が誕生した。
一方、作詞家を目指す晴琉の妹・綾乃 (20 歳 ) 〈上間綾乃〉 は、
自らの経験をもとに新たな詩作りに励んでいた。
先輩である仲間優香 〈内里美香〉 に相談しながら、過去の記憶をたどる綾乃。
幼いころ美ら海公園での不可思議な記憶が、直人との出会いにより次第に紐解かれていく。
のちに、にへいでびるずの一員となったタクシー運転手で島袋喜一 〈 北村 三郎〉 の孫、
島袋誠 〈前田広治〉 により衝撃の事実を聞くことになる。
「人には必ず居場所がある」
晴琉をコートに立たせようと集まった者たちが、様々な思いを込めて繰りなす人間愛。
晴琉が復活の道を歩み始める